今からおよそ2160年前に地中海において、北アフリカの最強国として栄えたカルタゴ(現在のチュニジア)はなぜ滅亡したのか?
カルタゴは、商才のあったフエニキア人が北方から来て住み着き、地中海を活用した貿易を盛んにして建国しました。
国が富み、軍備が増強されたことから、地中海を隔てたユーラシア大陸の最強国として名高いローマは、世の常として、一番と2番が首位争いをするように打倒カルタゴをめざしていました。
紀元前262年、ついに第一次ポエニ戦争が勃発しました。当時のローマ人はフエニキア人をポエニと呼んでいたそうです。
これに敗北色の濃いカルタゴは当時は幼なかった英雄ハンニバルの父ハミルカルを投入しますが敗北。
時は過ぎて、打倒ローマを掲げる英雄ハンニバルが29歳になったとき、第ニ次ポエニ戦争が起きます。だが、これにも完敗しました。
戦勝国ローマは、カルタゴに難題を突き付けます。相当な賠償金を支払っても許しません。
これに対して、カルタゴはローマに尋ねます。「どのようにしたら、ローマはカルタゴを許してくれるのか?」と。
ローマはこう答えます。「二度と他国と戦わないよう軍備解除したら許す。」と。
この回答に気をよくしたカルタゴは本当に軍備解除しました。これで、ローマに許されたと思ったカルタゴは軍事費をすべて経済繁栄につぎ込み以前より豊かになりました。
時は流れ、カルタゴは隣国との境界紛争に巻き込まれます。
これを好機とみたローマは先ほどの「二度と他国と戦わない」協定違反を口実に、軍備のないカルタゴを紀元前146年に滅亡させます。第三次ポエニ戦争です。
この歴史を見て、何かこう現在の日本を見ているような気がするのは私だけではないと思います。
1、1945年8月、戦争終結宣言し軍備解除したとたんに北方領土をソ連(ロシア)に武力で占領されました。
2、戦勝国アメリカが1週間であわてて作成した憲法を守らされています。特に第9条による武力放棄。
3、韓国と中国への土下座外交が長く続いています。日本は戦後、第二次大戦は自衛のための戦争であったと、各国から了解を得て、「A級戦犯」の名誉を回復して、「A級戦犯」の名称を削除したにも拘わらず、最近およそ30年前から、「A級戦犯」の名称を朝鮮半島や中国から掘り返えされています。
もう、そろそろ、目を覚まそうではありませんか?歴史を学べば真実が分かります!
学べば、どうしたら国を守れるかがわかります。 以上